今回やりたかったコト。
コレをしたいがために作りました。
タミヤがスポンサーについたけど、この79年でプラモ化されたのはリジェJS11とウィリアムズFW07でした。ま、勝ったクルマしか出せないわな。
リアセクションはほとんどギアボックスしか無いです。エンジンも見える部分しかありません。
ま、見えませんから問題ないですね。
やっぱりこの頃の車がいちばん「F1」って感じあるのは、いちばん感受性の高い頃だったからでしょうね。ビバ70年代後半~80年代前半!
ピローニのヘルメットは手書き。
GPAのロゴは何かのデカールから流用しました。
左の写真のミラー前方は気泡じゃなくて、タイヤのグッドイヤーロゴの写りこみですよ(笑)。
側面。やっぱりコクピットサイドの高さが気になる。
それにしてもタイレルのキットを買った時は付属デカールが少ないので、ちょっと損した気になります。(笑)
それにしてもとがったところの多い車ですな。(製作時はエッチングパーツで何度も手を刺したヨ)
ゼッケン番号のロゴがあまりイケてない。
ラウンチ時に使っていた前年のP34と同じロゴ(ゴシック体で縁取りのあるやつ)の方が好きだなぁ。
近年のF1はゼッケンの扱いがぞんざいなのが悲しいよ。
色塗ってるとあまり気になりませんが、少しコクピット部のカウルの高さがあるかなぁ、って感じがします。リアのエキパイまわりの高さが目立ちます。こんなに高さあったかなぁ?
ロングビーチGPではサイドポッド側面に低い高さのフィンが付いていて、キットにもエッチングパーツで入っていたのですが、付けるの忘れました・・・。
個人的にはタイレルと言えば「ブルー+白」か、この「タイレルブルーのみ」というのが一番「らしい」と思ってます。
今回はとにかく「モ子ちゃんのデカールセット」にこの丸タミヤマークがちょうどいいサイズで入っていたのをみて、このキットを購入しました。
それほど当時リアルタイムでタイレルを応援していた模型少年(笑)には、「タミヤがタイレルのスポンサーになった」というインパクトは大きかったわけですよ。
77年の日本GPでウルフにスポットスポンサーになってたやん、て言われそうですが、その頃はまだ幼くてそこまでの衝撃は受けなかったみたいです。
【実車解説】
タイレルの79年用マシンはロータス79の完全コピーとなった。しかしシーズン開幕直後の”リジェ・ショック”(リジェJS11の圧倒的な開幕2連勝)によりすぐに方向性を見失ったような小手先のモディファイが加えられていくことになる。
手始めにJS11の特徴のリアタイヤ前の”跳ね上げ”をコピー。JS11と異なりサイドウィングの翼断面はそのままなので、単にリアタイヤの空気抵抗減免にしかならず大きな効果は得られなかった。(ただ、このモディファイはほとんどのチームが真似をした)
その後もフロントウィングやサイドポッド側面にいろんな形状のフィンをつけたりしたが目だった成果は得られなかった。
ゼッケン4号車のドライバーだったJーP・ジャリエ曰く「良くもなかったが、悪くもなかったクルマ」。
ノースポンサーの”タイレルブルー”でシーズンインし、ロングビーチGPではタミヤ模型がスポットでスポンサーについたこともあったが、序盤戦で3位、4位入賞したため、ほどなくキャンディ電化のメインスポンサーが付き、赤白緑のラインが入ったカラーリングとなる。
【モデル解説】
スタジオ27のレジンキットです。まさか009とか010がキットで出る世の中が来るとは思わなかったヨ。
ロータス79の流用ではなくて(あたりまえだ)ちゃんと009になってました。ただちょっとセンターカウル部分が高いかなぁ、って感じはします。
バージョンは序盤戦の”いろいろ付け出した”頃でまだ迷走状態までいっていない頃のバージョンです(笑)。なのでメインスポンサーも無し。(むしろコレが好きなのですが)
一番したかったのはリアウィングのタミヤマーク。コレ実はモ子ちゃんのデカールセットに入ってました。痛車ブーム様々です。
カラーリングは勿論タミヤブルー一色です。
ドライバーは新進若手だったディディエ・ピローニで。ヘルメットはタミヤJS11付属のGPAヘルメットに手書きでマーキングしました。昔のデザインはシンプルなのでなんとか手書きできますね。
作者:めが
タイレル009 (1979年ロングビーチGP)