コーリン・チャップマン時代の最後に優勝した記念碑的なクルマです。(82年シーズン終了後にチャップマン急逝)
アンジェリスもこの3年後に天に召されてしまうため、少し感傷的になりますね。
フロントノーズ。
レーダーでも入ってんのかっていうくらい丸っこいです。フロントウィングも無いので長さもえらい短いです。
でもこの角度から見たコクピットからのラインって後の98Tや99Tくらいにまでつながるものがあるように見えるのは気のせいですかね。
フロントのオーバーハングがめっさ短いですな。リアウィングも小さいので余計にサイドポッドの長さが強調されます。もっともこれが1982年のF1のスタンダードな形状です。
タイヤはキット付属のものなのですが、フロントタイヤの形状がエッジが立ちすぎている感じがちょっとしますね。
ドライバーはエリオ・デ・アンジェリスとナイジェル・マンセルがレギュラーでしたが、スポット参戦のロベルト・モレノやジェフ・リースという選択肢も可能でしたが、やっぱりエリオにしました。
ヘルメットデカールは付いてなかったので手書きしました。(カラーリングが簡単だったから選んだんじゃ・・・無いアルよ)
レーシングスーツもJPS時代は黒でかっちょいいのですよ。

サイドポッドのラジエターのアウトレットの角度がえらい緩やかで開口部が大きいですね。

スポンサーがJPSに戻って(正確には81年中盤からなのですが)非常にカラーリングがカッコよくなりました。(マルティニやエセックスなんて・・・ま、それはそれでキモカッコいいけど)
黒一色なので塗装は楽チンなのですが、かえって艶出しのごまかしが効かないのでそっちで気を使います。
また、ボディ形状が丸みしかないと言ってもいいくらいなのでラインデカールの位置決めにも気を使いました。(気疲ればっかりするクルマやな)



【実車解説】
ダブルタイトルを獲得した78年を最後に不調を囲っていたロータスの82年は、前年に起死回生を狙った野心作”ツインシャシー”88をめぐるゴタゴタや、チャップマン自身がデロリアン社とのビジネストラブルに追われるなど迷走状態が続いていた。
82年を闘うべくデビューしたタイプ91は前年の”代打マシン”87Bのモノコックを流用して設計されていたあたりにチームの状況が偲ばれる。
91は87Bの正常進化型で、特に丸みを帯びたボディ形状は空力特性の向上を果たしていたが、戦績はパッとせず予選も10位以降が多く(最高位7位)、決勝も2ndグループの先頭を争う事が多かったが、コンスタントに入賞をはたし第12戦までに2人のドライバーで7度入賞しているが表彰台はN・マンセルの”他車失格繰り上がり3位”が一回だけであった。しかし迎えた13戦オーストリアで奇跡が起こる。予選7位からスタートしたエリオ・デ・アンジェリスがターボ勢のリタイアに助けられたもののトップに立ち、急追するケケ・ロズベルグのウィリアムズを0.05秒の差で抑えきり、ロータスに4年ぶりの優勝をもたらした。

もどる
【モデル解説】
スタジオ27のレジンキットです。
ウィングカー真っ只中のマシンなのでキットの構成も甚だシンプルで、ほとんどボディのみみたいな感じで。
さすがにカウル一体のサイドミラー部とインダクションポッドは別パーツ構成でしたのでボディの加工はほぼそれだけ。なんせフロントウィングも無い頃のF1ですし。
「にゅるん」としたほとんどエッジが無いようなボディ形状がよく再現されています。
カラーリングは復活のJPSなので黒一色。デカールの色はちゃんとベージュでした。
ドライバー人形はもちろんタミヤのを使用。問答無用でエリオ・デ・アンジェリスです。奇跡のオーストリアGP優勝車ということにしておいてください。ヘルメットは手書きです。(JPSロゴは78の付属デカール流用)


作者:めが
ロータス91  (1982年)